2001年9/13(木)御岳 

923(日)

キャンプ場=王滝登山口駐車場640−八合目2580m(R1)7:357:45−王滝山頂8:408:55−御岳山頂剣が峰9:2010:20−登山口駐車場11:50=キャンプ場=中央道塩尻IC=首都高三郷IC=越谷(9/244:00着)

昨晩は早く寝たので夜明け前には起きられるかと思ったが、寝心地が良かったのか目覚めたら5時半を過ぎていた。朝は寒いだろうとは思っていたが、起きた時はさほどではなかった。しかし、テントの一部に氷が着いていたし、ペットボトルの水もわずかに凍っていた。他の物にも着氷していて、まわりの草木がきらきら光っている。テントはゴアテックスのものを持ってきてよかった。駐車場へ行くと車の窓ガラスは全面氷結であった。仰ぎ見ると御嶽山はモルゲンロートに輝き、空のどこを見回しても雲のかけらもない。今日は期待できる。

それでも朝食を摂ってのんびりと出発した。スキー場に入ると窓外に中央アルプスが黒い屏風となって聳え立ち、北アルプスの一部も見える。快晴である。田の原の広い登山口駐車場はすでにびっしりと車で埋まっていた。駐車場の端からは槍穂高をはじめ、八ヶ岳、中ア、その後ろに甲斐駒から赤石岳、聖岳まで展望できる。眼前に大きく広がる御岳を眺め、頂上にまっすぐ続いている道を目で追っていくと、もう中腹あたりまで登っている姿が遠望できる。相当数の集団もいるようだ。

門をくぐると砂利道の広い参道がまっすぐに伸びている。しばらくすると傾斜もついてきて、調子に乗って早く歩いていると息が切れてくる。さすがに登山客は多く、追い越すことも追い越されることも頻繁で気を使う。樹林限界を過ぎて振り返ると、中アとその陰の南アがますます大きく見えてきて、富士山も姿を見せ始めた。北アはここからは陰になって見えない。登るほど登山客があふれてきて、3040人ものツアー集団もいる。登山道が岩の多いところになると脇のガレ場も歩けるようになり追い越しが割と楽になった。それにしても健脚の年配者が多い。健脚が自慢で追い越すのを楽しみに来ているようにも見える。私もこの年になるとその気持ちは良くわかる。ツアー組はえてして周りより遅いものだが、私も追いつかれないようにするのが精一杯というスピードで登っている。

王滝山の小屋を過ぎたところは広々とした火山レキの鞍部になっている。何体もの大きな神体が建てられていて見事だ。高みに登ると槍穂高がはっきり見える。私の後ろを歩くツアーのガイドの話を盗み聞くと、この辺は高山植物がごく少ないそうだ。真夏の炎天下にこの山を登るのは大変そうだ。剣が峰山頂の手前にある50段ほどの階段が憎らしいほど辛かった。山頂は今日の人数では狭すぎてゆっくり休めそうもないので、岩場を少し降りたところに陣取り展望を楽しむ。山頂は、広い火口原を取り巻く一部でエメラルドグリーンの水をたたえる小さな池もあり、なかなかの景色である。展望は360℃のすごさで、南アの峰もほとんどすべて望める。北アもよく見えるが、下調べを怠ったので山座同定があまりできずに悩む。帰ってから調べてわかったのだが、立山と剣があんなに際立って見えるとは思わなかった。実に47座の百名山を指呼できるはずだった。先月登った伊吹山と荒島岳もはっきりとしない。浅間山があんなふうな形であんなところにあるとは思わなかった。昨日の焼岳と同じく、さすが著名な山はそれだけのことがある。すばらしい山であった。天気の良いときに何度でも登りたい山である。

キャンプ場に帰ってから管理人にチェックアウトの時間を聞いたら「ごゆっくりどうぞ」と言われ、どうせこの時間から帰路についても大渋滞だろうと踏み、昼寝もして大いに寛いだ。暗くなる前に帰り支度を済まして出発し、塩尻を八時頃通過したので大丈夫と思ったら、中央高速はいまだに30km以上の大渋滞が続いていた。八ヶ岳SA2時間ほど仮眠して、もういいだろうと走り出すと、渋滞はまだ収まる気配がない。もうここは覚悟を決め、双葉SAで本格的に寝ることにする。結局自宅に帰りついたのは夜明け前の4時であった。いやはや。

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