2001年9/13(木) 塩見岳

越谷5:30=首都高三郷IC=首都高向島IC=首都高神田橋IC=中央道松川IC=塩川小屋10:4511:00−尾根取付1580m(R1)11:5012:00−水場1880m−1960m(R2)13:0013:102315m(R3)14:1014:20−鳥倉分岐14:35−三伏峠261515:00(三伏峠小屋泊)          (標高は参考、三伏峠では()90mの誤差あり)

20年以上も前に北岳に登った時、はるかに長い尾根の向こうに、特徴のある山容の山が孤高として聳えていたのを印象的に覚えている。いつかは、と思ったものだが、本当に行けることになると、その時のことが懐かしく思い出される。その頃は三伏峠にも簡単には行けなかったと思う。
 今回は車を利用しての塩川経由だったが、鳥倉林道経由のほうがはるかに登山客は多いという。歩程は1時間ほどの違いだろう。赤石岳あたりから見た鳥倉林道は延々と山裾を削って続いていて驚異的とも思った。翌日泊まった鹿塩の宿の人が塩川経由の登山客の激減を残念がっていた。
 自宅を出発するのが少し遅かった (というより準備で寝るのが遅くなった)ので、首都高はすでに混んでいた。向島出口で一旦降り、神田橋でまた入る。いくらかは早かったであろう。中央道に入っても車は多く、おまけに思わぬ土砂降りになって車の流れがのろくなる。天気予報は大外れである。甲府を過ぎたあたりからは小止みになってきたが、駒ヶ根あたりから見た南アの山並みには灰色の雲がびっしりと取り付いている。松川ICで降り、塩川に向かう県道は狭く曲がりくねっている上、トラックだらけで走りにくい。鹿塩温泉を過ぎてしばらくすると舗装が終わって悪路になる。マイクロバスが通るにはちょっとハードだと思う。

 塩川小屋の下の広場に着いたのが11時近かった。今日は三伏小屋までなので暗くなるまでには何とか着くだろうが、時間の余裕がないと初めての道はやはり多少の不安がある。少し高みにある塩川小屋は開いてはいるのだろうが人の気配はない。あと2日で営業が終わるのでその準備に忙しいと思うが。広い駐車場にはこの時間に他の車が1台しか停まっていないし、人っ子一人いない。平日とはいえ少なすぎる。もっとも、代休を使って人の多い連休を避けたのだから、してやったりなのだが、やはり少し寂しい。おそらくみんな鳥倉林道のほうに回っているのだろう。川はここ数日あれだけの雨が降ったのに、水量は多いが笹濁り程度だ。山の豊かさを思う。釣り人が一人やってきたので少し話をする。「笹濁りは釣れるんだがこの水量が厳しい、気配もない、先行者がいるようだ。ちょうどこのあたりがイワナとアマゴの分かれるあたりだ。山はこれから晴れてきそうだ」など。
 登山届けを書いて川沿いに進む。尾根に取り付くまで三つの橋を渡る。一番目の橋は、私の持っているエアリアマップには木橋と記されているがスチール製であった。岸の藪沿いに昔の木橋が打ち捨てられていた。2番目3番目は木橋だが頑丈なものだった。

 尾根に取り付くとまもなく急登が続く。寝不足でヒーコラすることを覚悟していたが割りと調子が良く、高度計では20分で120mのペースだ。中2本立てて、思ったより早く鳥倉口との分岐点を過ぎる。三伏峠の小屋へは私の予定より30分以上早く着いた。小屋の1階はもう仕舞支度で畳が上げてあり、毛布などが干されている。寝場所は2階で、指定された番号のあたりにすでに7〜8人寝そべっていた。寝具はシュラフではなくふとんで、料金もとられなかった。一人のスペースは狭いが、さすがにこの時期では泊り客も少ないので間隔をあけて割り当てている。結局20人ほどが泊まったようだ。

9/14(金)
三伏峠小屋5:35−本谷山(R1)6:356:50−塩見小屋(R2)8:208:30塩見岳東峰(R3)9:3510:00−塩見小屋10:30−森林限界手前(R4)10:4010:50−本谷山(R5)12:1012:25−三伏峠小屋(R6)13:2013:40−(R7)14:3014:40−尾根取付(R8)15:3015:40−塩川小屋16:20=塩湯荘(泊)
915(土)
塩湯荘=中央道松川IC=首都高三郷IC=越谷


三伏峠から

本谷山から

間ノ岳、甲斐駒、千丈

 甲斐駒、千丈


9/14(金)
 小屋を出て冬季小屋となっている建物を廻りこむと、塩見岳方面の展望が開けた。昨日よりはかなり良さそうな天気だ。早出したグループが三伏山あたりで歓声を上げている。景色は上々のようだ。こちらも早くあのあたりへ辿り着きたくて先を急ぐ。樹林帯を抜けて高みに出ると、塩見岳が雄々しく聳えていた。塩見岳の陰から日が昇るので黒々と怪しい。稜線はほとんど樹林に覆われていて見通しはあまりきかないが、木々の間から覗く塩見は日が上がるにつれても様相を変え、迫ってくる。本谷山を越えると緩い下りの樹林帯を進むようになる。しばらくは森林浴を楽しむ余裕も出る楽な道のりだ。小さな谷沢を越えると、登りになる。25千図とエアリアマップの道はここらあたりから違い、前者は見過ごしたが旧道のようで、後者の地図通り小ピークの北側を急登している。稜線に上がって少し登ると、やっと森林限界を超え、まもなく塩見小屋に着く。想像していたよりも小さく、そばに簡易小屋程度の棟が二つある。収容人数は知れているから盛期はすごい混みようだろう。予約者以外は泊まらせない、というのもこれで肯ける。

 一服した後、痩せた稜線を進むと岩場になり、際どい所はないが、さすがに疲れてくる。残念ながら、途中でガスがかかってきた。足場の悪い岩場を最後とがんばると以外に早く山頂に着いた。やはり雲の中にすっぽり入っているようで、楽しみにしていた展望は全くきかない。山小屋から45組はこちらに向かったと思ったが一人きりの山頂だった。東峰で少し待ったが晴れそうもないので、下りにかかる。

 塩見小屋を過ぎて森林限界の手前で休んでいたら、鷹が頭のすぐ上を、私の周りを3〜4周して去った。鷹をこれほど近くで見ることができたのは初めてだった。しかも飛んでいる鷹をだ。目のあたりが白っぽかったから「サシバ」だろうか。渡りの前で餌を必死で探していたのだろう。
 登りが少なからずあるためか、往路と違って小屋までが以上に長く感じた。三伏峠小屋にはくたびれ果てて着いたが、もう1泊この小屋で過ごすのもどうかと思い、往路で通った鹿塩温泉にでも泊まることにして下山と決めた。小屋の料金も一般旅館と比べると決して安くはないし、小屋にその鹿塩温泉の宿の案内も貼ってあった。飲み水を全部使ってしまったので小屋で汲もうと思ってきたが、小屋の入口脇にあった水道場がすっかり片付けられている。「宿泊者以外は差し上げられません」とあったので、盗水を警戒しているのだろう。でも私は昨晩泊まったのだし、大丈夫だろうと受付で頼んだら、以外にもだめだという。そこを何とか、昨晩泊まった者で、今日使った水も下から持ってきたものだし、少しでいいから、と粘ってみたが、それでもだめだと言う。半分あきらめて、ペットボトルのウーロン茶でも買おうと思っていたら、奥にいる小屋主に聞いてきたのか何とか分けてくれた。ここは確かに水源はかなり下ったところにあるだろうから、ポンプ代も相当なものだろう。しかし、小屋の営業はあと二日だし、宿泊客もそう多くはないだろうから、もう少し融通が利いてもいいだろうと思う。事情は事情としても、サービス業とは考えていないのかもしれない。小屋主らしき人とは、昨日からついに顔を合わせなかった。

 下りはさすがにくたびれた。時間が過ぎるのが遅く、高度計もなかなか変化しない。いつものようにトットコ調子よく下る馬力も出ないし脚の筋力も情けなかった。何とかそれでも駐車場に着くと、もうまもなくな温泉泊まりに期待してうきうき気分に変わってしまった。

 三伏峠小屋に貼ってあった温泉旅館の場所はすぐわかったが、なかなか敷居の高い立派な玄関口で、料金も気になったが、一人だし予約もないし、多分断られるだろうと思ったら、出てきた女将が予想通りな雰囲気で、たがわず、慇懃だがお門違いと言わんばかりなお愛想笑いで送り出された。もう1軒、下の旅館はなかなか庶民的であったが、これまた庶民的な女将に申し訳なさそうにこれも断られた。あと1軒上にあるときいて、あきらめ半分で行くと、川向こうにあって構えはなかなかのもんだ。車が入れそうな狭い橋がかけられているので、かまわず進んで車を止め、玄関へ行く。出てきた仲居は愛想のいいおばさんで、奥に聞いて帰ってくると、どうぞと言う。そっと料金を聞くと、苦笑交じりで1万円だという。これはいいやとお世話になることにした。山小屋の7千円に比べたら天国、がんばって下ってきた甲斐がある。館内は静かで、客はそう多くはないだろうと思う。2階にあてがわれた部屋は川に面していて、その川は昨朝出発時とも変わらず轟々たるうなりをたてているが、やはり濁りはほとんどない。部屋にやってきた仲居さんは「鳥倉口ができてからここも登山客がめっきり減ってねー」と寂しげだ。風呂はちょっと待てと言う。他の泊り客らしき足音が部屋の前を過ぎるとすぐに風呂へ誘われた。風呂には誰一人居ず、他の客と一緒にならぬように気を使っているようだ。ぬるめの湯にゆっくり浸かる。部屋に戻ると、今度は素朴で優しい感じの、しかも若くて可愛い女性が現れて、食事は部屋に運ぶという。その前にビールを頼むと、やがて料理と一緒にやってきてコップに注いでくれ、料理の説明やらこの地域の昔話やら、いろいろと話してくれた。実に感じの良いこの女性がどうやら若女将らしいと気づいたのは大瓶のビール2本に次いで頼んだ燗酒を飲み出してからだった。料理も珍味やらなにやら盛りだくさんで、味も量もとても満足であった。とても食べきれぬと思いながらきれいに片付けてしまい、酒量もたっぷりいただいた。

  極楽の一夜を過ごし、朝食もしっかりととって、出発時に表へ出てきた若女将のやさしい見送りを受けて車上の人となる。橋を渡って宿を後ろに名残惜しく振り返ると、あの若女将がまだ手を振っていた。期待以上のサービスを受けてすっかり満足し、一路自宅へと向かう。祝日で土曜日なので松川ICまでも往路のようにトラックがいなくてスムーズに通過し、中央道も順調に走り進んで帰宅した。



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