山梨百名山
 笊ヶ岳 2629m (58) 
2009/9/19〜20

9/19  北越谷2:30―(車)―老平5:40/6:00―林道終点6:30/6:35―広河原7:35/7:45―山の神8:30―R1290m8:45/8:50―R1685m9:50/10:00―桧横手山10:50/11:10(昼食おにぎり1個)―R2355m12:10/12:20―布引山13:10/13:30(テント設営)―鞍部13:50―笊ヶ岳14:35/14:50―鞍部15:10―布引山サイト15:50

 2〜3日前まで天気予報が良くなかったので新潟方面を考えていたが、晴れの予報に変わったので笊ヶ岳を決行することにした。4〜5日前から膝の調子が思わしくなく、ビッコを引くまで痛み出したので2日前に病院へ行くと「変形性膝関節症」、つまりは老人病か、ヒアルロン酸を注射してもらった。湿布をして過ごしたら調子が良くなった。
 老平の駐車場には数台の車があった。1台後から来て、やはり笊へ行く様子。林道を30分歩くと終点になり、ここから山道になる。駐車場に後から来た人に追いつかれる。ザックが小さいから日帰りかと尋ねるとそうだと答える。自分には到底無理だろう。廃屋があり、急峻な崖の際を通ることも多くなり、沢に足場板を渡したところが何箇所もある。そしていよいよ吊橋である。高さもあるし、結構ゆれて怖い。右に回りこんでいくと沢がどんどん近くなり、広河原に着いた。渡るのに訳はないと安易に見つけたルートを行ったら、石がかなり滑りやすく、すっころんでしまった。危うく、水には漬からずに済んだ。帰りのためにルートを吟味しておく。ちょっと上がったところにサイトがある。ここをベースにしてピストンする人も多いと言う。濡れても暖かいスキーウエアー用の長袖に半袖を着込んでいたが、さすがに汗が出たので半袖だけにする。


6時、老平駐車場を出発

岩のトンネル

廃屋近くにあった曼珠沙華

こんなところが少なくない

苦手な吊橋、揺れて手すりが低くて怖かった

ほっとする

何てことはなさそうだが傾いでいるので吊橋並み

広河原に着いた


 広河原から標高差約1700m。歩き始めからだと約2100m。愈々、登り始める。ここからいきなりの急登で、九十九折で地は歩きやすいが、それでも急である。一歩一尺(「尺歩」と造語した)の小幅でリズミカルに歩くように心掛ける。膝は圧迫感はあるが何とか持ちそうである。山の神を過ぎると、道が悪くなった。急登なので標高は稼げる。1本目1時間で390m、2本目1時間で395m、ここまで4時間も歩いて残り900mの標高差、呆れ返る。途中林業用のワイヤーやらウインチがあって、標高1800m以上まであった。どうやって運んだのか、山の衆はすごい。3本目50分で335m、桧横手山に着いた。サイトが2張り分ある。昼食に、にぎり飯1個、山に来ると小食である。疲れのせいだろうか。寒くなってきたので長袖に着替える。ここからはさすがに足が重くなる。4本目1時間で335m、1時過ぎには着きそうだが、いくら軽身のピストンとはいえ、このヘバリようでは今日の笊往復は諦めた。桧横手山では今日中に笊に行けると意気込んでいたのだが。5本目はきつかったが、先々週の鶏冠のバテ加減とは違う。待ち望んでいたガレ場に出て気分爽快になった。少々霞んではいるが赤石、聖、上河内、茶臼、光まで見える。青薙が目の前である。やっと着いた布引山のすぐ先のサイトでテントを張る。そこへ、日帰り氏が笊から帰ってきた。途中で擦れ違った女性が大きな荷物で笊に向かっているとのこと、転付峠方面へ行くのだろうか。


上河内と聖

布引山手前のガレ場

右から赤石、聖、上河内、小さいが茶臼、光、眼前に青薙、あとは同定しなかった


 テントを張ると、身軽になった体に力が残っている気がした。まだ1時半、バテても、何とかして4時までには帰れるだろう。ザックの中身をほとんどテントに入れて出発する。すぐに後悔の2文字が頭に浮かんだ。垣間見た笊と小笊が遠く高く大きい。150m下った鞍部まで長く感じたが20分で通過する。登りの200mがやはりきつい。山頂のすぐ下にテントが張ってあり、その脇を枝に引っかかりながら通るときに「すみません、もう誰も来ないかと思ったもので」と女性の声、日帰り氏が「元気なおばちゃん」と言っていた人だろう。顔はテントの中で拝見できなかったが、声で50〜60歳と踏む。山中女性一人なので話しかけても悪いかと思い、どういうコースを歩くのかとも訊かなかった。笊ヶ岳の展望はさすがに大パノラマ、素晴らしかった。ただ、くっきりと鮮明には見えない。塩見、北岳、鳳凰あたりは雲に見え隠れ状態だ。アーベントロートはさぞや、と思うも引き返す。ザックにストックがあったので使ってみる。かなり足への負担が減った。これでテントまでの長い道のりを乗り切ることができた。明日も使用することを決めた。
  


富士山にはずっと雲がかからなかった

左から聖岳、赤石岳、荒川三山

左から塩見岳、奥に仙丈岳、間ノ岳、北岳
間ノ岳の手前に農鳥岳、はっきりしない
白根南嶺の笹山などが見えるはずだが残念

塩見岳の右側手前に蝙蝠岳



荒川三山、千枚小屋も見える

赤石岳、残念ながら薄く霞んでいてくっきりと見えず

小笊と富士山
笊からの良く見る写真

鞍部付近から見る笊と右に小笊
笊ヶ岳は手前の山に隠れそうになっている

  やっとこさ、サイトに着いて足のストレッチをしてから、テントの中で頭で描き続けた祝杯。入口から富士山を眺められる位置にテントを張った。至福のとき。これはピストンでは味わえない。富士山は2〜3合目から上には一点の雲もない。
 菊水フナクチを持ってきたが、さほどの美味さは感じない。疲れのせいか、気分のせいか。軽装化のためテント泊必携の本を持ってこなかった。この状況で手持ち無沙汰な気分になる自分の性格が疎ましい。夕刻から風が強くなって音が凄まじい。でも、テントにはそれほどの影響がない。富士山が赤く染まってきた。テントの中から写真を撮る。なんて贅沢なんだろう。それでも、まだ暗くなる前にシュラフに入った。風の轟音は夜中もずっと続いていた。こんな風の音は初めてだった。


テントの中から撮る

不精にもテントの中から撮った、刻々と変化する富士


9/19  布引山6:00―桧横手山7:00/7:10―R1340m8:00/8:15―広河原8:45/9:05―老平10:20/10:30―(圏央道経由)―北越谷14:20


朝は見事にすっきりしていた

赤石岳

聖岳


  夜中、何度も目を覚ましたが、風の轟音は相変わらず。テントはほとんど揺れないので不安は無かった。結局10時間は眠っただろうか。5時頃富士山を見ると、まだ雲もかぶらずくっきりと見えていた。インスタント味噌汁に昨日の残りのにぎり飯を入れて簡単おじや。絶品!と言うこともない普通の味。6時に出発し、ストックを使って下り始める。これでかなり足の負担減になったようだ。登りの単独行者と出会う。昨日は桧横手山に泊ったそうだ。桧横手山まで1時間、次の1本で700m近く稼ぐ。途中でひとりに追い越される。大きい荷物なので、どこから来たかと訪ねると、笊ヶ岳に直接登る北隣の尾根を老平から昨日登って降りて来たと言う。どのくらいの藪なのか、藪が好きだと言う。まだ30歳そこそこだろうが、すごい人もいるもんだと思う。私も学生時代にやってはいたが。登りの中高年者何人かと擦れ違う。老平を4時前に出て日帰りと言う。見れば明らかにオーバー60の夫婦もそのようだ。すごいの一言。ちょっと心配。
  無事、広河原に到着。カーボショッツ、エレクトロライトショッツ入りの飲み水1.5Lがちょうど足りた。これで力が保てたという思いが強い。帰りの吊橋はさらに怖かった。ほんとに苦手である。渡ってすぐに出会った、鳶のニッカボッカに黒シャツ、黒のサングラスという出で立ちのこわもての(失礼)若い人が、「この先に猿の群れがいて、石を投げて威嚇してくるから注意」とのこと。感謝する。どうやら途中に下る道があって、川沿いに建物があったから、河川管理か何かの仕事で来たのであろう、林道終点にドアを外したジープ仕様のランクルが駐車してあった。上を気にしながら気をつけて歩いたが猿はすでにいなかった。しかし、マムシが道の脇にいてびっくり。足の20cmほど先に見つけて瞬時に飛び越えたから良かったが、攻撃態勢でとぐろを巻いていた。惜しくも写真を撮ることを忘れ、後から来る登山者のために石を投げて道から遠ざけた。最後の30分の林道は長かった。
  中央道の渋滞は避けられると思ったが、府中から17kmの渋滞という情報に、迷ったが圏央道で関越に出た。しかし、外環が川口まで渋滞、それでも昨日笊を往復したおかげで予定より相当早く自宅に到着できた。


布引山にて

笊ヶ岳にて

まだ黄葉は少ない

菊水フナクチはもう定番