2001/7/13〜14 赤石岳


713(金)

越谷505−北越谷514−北千住550−東京635−(新幹線)−新静岡801823−(バス)−畑薙ロッヂ11401400−椹島1500

念願の南アルプス南部の縦走がついに実現することになった。体力的にかなり不安だったので、もちろん全泊小屋泊まり、全食小屋に頼ることにした。昔は素泊まりのみだった南アの小屋も、今回調べてみるとほとんどが2食付きになっている。単独行でなければテントを担いで楽しみたいのだが、混み合ってストレスの高い小屋泊まり、まずい飯、高い費用にもここは我慢すると決心した。

自宅最寄駅の始発に乗り、静岡まで新幹線で行く。静岡からバスで3時間もかかる。バスが一時休憩した場所になんとなく覚えがあった。20年以上前にNK夫妻で荒川三山をやったことがある。おそらくこのルートを通ったのだろう。バスはまだ畑薙ロッヂまでしか行ってなくて、バスの運転手と車掌、2~3人の登山者と一緒にロッヂに上がって休ませてもらう。今日は椹島までなのでビールを注文し、静岡駅で買ってきた駅弁を食べた。東海フォレストの送迎車が来るまで2時間以上もあり、TVを見ながら過ごす。このロッヂはバス停からすぐの高台にあり、わりと新しく1Fのリビング(兼食堂?)も広い。それにしても2時間の足止めは長すぎる、と思うのは休暇をのんびり楽しむゆとりが心にないからだろうか。東海フォレストの送迎車(リムジンと呼ぶ気にはなれない)は畑薙第一ダムで10人ほどの団体と他に数人乗せて悪路を飛ばし、1時間ほどで椹島ロッジに着いた。自宅から登山口まで1日がかりである。さすが南アルプス、懐が深い。

椹島ロッヂは敷地も広く大きくて建物が棟続きで何棟もある。夕食まではまだ早いし、ちょっと離れたところにある売店−可愛い女の子が3人もいる−で生ビールを注文し、裏のベンチで文庫本を読みながら寛ぐ。夕食の少し前に小雨がぱらつきだした。クロツムギが木の上で頻りに鳴いているが姿は見えない。
 夕食はあまり美味くない。山奥でもないのにこれでは先が思いやられる。明日の分のおにぎりも料金のわりにひどいものだった。あてがわれた部屋は3人部屋で、みんな単独行者だった。私にとっては難しい写真の話や、どこそこまで何日でとか、何時間で行ったというような話をしている。
 そのうち若い男の従業員が部屋へやってきて、同室の一人が自分のサンダルを室内スリッパと間違って履いて持ってきたと、えらい剣幕でガナリたてて去っていった。受付のおばさんは感じが悪いし、送迎の運転手は粗野だし、料理長は無愛想と、この椹島ロッヂはどうしたものだろう。感じの良かったのは、来たばかりで何も知らない若いアルバイトの女性だけである。まだ入山したばかりで下界との違いに慣れない、私の穿った見方なのかもしれない。この施設の規模なら、もう間近の盛期にはそれこそ相当な人数を迎えるのだろう。もうその準備でみんな苛立っているのかもしれない。今日は空室がたくさんあるので就寝時、一人が隣へ移っていった。
夕方6時頃に雷が鳴り、どしゃぶりになった。

714(土)

椹島ロッヂ555R1(1340m)633640−(1405m独標)−R21665m738750R32020m独標)850905R42240m)9551010R5昼食(2420m)10501120−赤石小屋1130R6富士見平12081225R72605m)水場110125R82865m支尾根取付)14101425−赤石岳1500−赤石避難小屋

明ければ快晴であった。朝食後に身づくろいをして出発。昨日寄った売店のある樹間の道を行くと大きな案内板が立っている。周りは送迎車の運転手専用らしきものやら、たくさんの建物がある。東海グループの私有地だろうから、他の地域の施設と較べれば贅沢なものだ。昨日通った車道へ近道をし、登山口からすぐに九十九折の急登になる。木漏れ日ならぬ木漏れ来光を背にしながら、喘ぎつつひたすら単調な登りに耐える。樹林帯の中がとても気持ちがいい。休憩のときにやぶ蚊に3、4箇所やられた。ホシガラス、ルリビタキの鳴き声がする。トラツムギやコマドリの声も聞こえてきた。ルリビタキのメスがしつこく警戒音を出してしばらく追ってくる。しばらくして樹間から山並みが見えてくる。赤石、聖かはっきりわからない。椹島ではあんなに泊り客がいたのに、誰にも抜かれないし誰にも追いつかない。みんな荒川岳方面に行ったのだろう。一人だけ会ったのは、私が急登で汗をたっぷりかいているときに、あっという間に追い越していった人だけだ。中年の男性で、スニーカーに、サブザックだったが、すぐに見えなくなってしまった。時期が少しずれただけでとても静かな山になっているようだ。途中4回休憩したあと、赤石小屋がちらりと見えた。急登が終わり、稜線を外れて進むようになる。道脇のカラマツの枝に触ると小さな虫が群れになってわんさか出てきて、頭や腕にまとわりつく。枝に触れないように歩くのは難しく疲れるので、虫は払っても払っても際限ない。

耐え切れずにとった5回目の休憩で昼飯を食って少し歩くと、やっと赤石小屋に着いた。今日の予定はここまでである。受付に行って声をかけ、出てきた髭のごつい人に向かって、「予約した者ですが、すみませんが避難小屋まで行きます」と言ってしまった。「ああ、どうぞ」と聞こえた、「わざわざ呼び出して、そんなこといちいち言わなくてもいいよ」という意味の言葉に送られて先へ進む。天気はいいし、まだ時間も早いし、あと500mの登りだけど、ここまで1500mも登ってきたからどうってことはない、と思いつつ、少しばかり後悔しながら歯を食いしばる。富士見平からは名の通りに富士山が望め、右手の荒川三山がどでかい。とうとう来た、という感想だ。そこから暫くは登りらしい所がなくてイライラする。しかし、道が谷沿いになったので高山植物が湧き出るように現われて慰めてくれた。道沿いに樹木が姿を消し、急沢を横切るといよいよ急な登りになる。目指す峰はくっきりと青空にシルエットを写している。花畑はますます一面に広がり、この山々を選んだことの幸運を感じさせる。シナノキンバイ、ミヤマキンバイ、ミヤマキンポウゲ、ミヤマオダマキ、ハクサンフウロ、ハクサンイチゲ、ツガザクラ、アオノツガザクラ、などなどなど。一歩一歩ゆっくりとしか登れないが、この登りの苦しさはむしろ求めてきたもの。久しぶりで見たイワベンケイが「良く来たな」と声をかけてくれる、などと自分をだましながらやっと稜線に上がる。先を見るとまだ気を許すことができない登りが続いている。先行者が一人いることに気付いた。彼もかなりのろいペースのようだ。追いつくのかもしれないとがんばると、このペースで本当に追いついた。様子を見ると、かなり大きな重そうな荷物を背負っており、時々立ち止まるので遅いようだ。追い越して一息がんばると憧れの山頂、この山脈の盟主、赤石岳だった。3時ちょうどであった。
 すばらしい眺めだった。ビデオとデジカメで撮りまくる。北を見やれば前岳の上に塩見がちょこんと頭を出し、左手奥に甲斐駒・千丈も見えるが大きな間ノ岳に阻まれて北岳は見えない。南を向けば、これから超えねばならぬ山塊群が居並ぶ。明日登る聖岳が遠くにでかい。その右手の大沢岳や中盛丸山、兎岳も負けずに高く、しかもその波は大きい。かなり、しんどそうな高低差である。東には富士山が美しい。
 さて、これからである。今日は赤石小屋までの予定だったし、すぐそこにある赤石避難小屋に泊まれば、明日は聖岳を超えるのが大変になる。予定通り百間平小屋泊まりとすると短すぎる行程だ。かといってシュラーフも持ってないので、百間を越えて兎の避難小屋というわけにもいくまい。とするうちに、先ほど追い越した人が山頂を越えて、避難小屋付近にいたもう一人と合流して休んでいたが、二人で先に歩き出した。追いついた人はかなり疲れているのだろう、すぐに遅れだして歩みものろい。もう3時半になるのであのペースでは百間平小屋まで行かずに暗くなってしまうだろう。しかし、登りがあるわけではないし、自分も何とか行けるのでは、と少し迷っていた。そうしたら、さきほど避難小屋から出てきた人がこちらにすたすたやってきて、「今日はどこまで行くんだい?ここに泊まっていけば?」と誘ってくれる。小屋番だった。「先に行くか泊まるか迷っていると思って、誘いに来たんだよ」という。渡りに船だった。「これから無理して行くのは大変だし、楽しくない。先を急ぐのでなければ明日は百間平小屋までのんびりと大名登山がいいよ」、その通りだ。自分を納得させるのに助け舟を出してくれる人がいるとは幸運であった。躊躇なくここに泊まることにした。

小屋に荷物を置き、ビールを飲んで暫く休んだあと山頂に戻る。日没して暗くなるまで思う存分展望を楽しんだ。小屋の客は私を含めて二人だけだった。もう一人の客は小屋番の米山さんと知り合いの人で、私が椹島から赤石小屋への急登で喘いでいるときにあっという間に追い越していった人だった。聞けば、未明にバイクで畑薙第一ダムまで来て、そこから林道を歩いてきたという。4時間は余計にかかるが、ここに着いたのは昼過ぎだったという。驚くべき速さだった。ここに来て米山さんに引き止められたので泊まることになったそうだ。「これで明日はきつくなった、早起きしなけりゃ」というのでどこまで行くのか尋ねると、明日中に聖岳を超え、茶臼小屋経由でダムまで降りて家に帰るそうだ。私の2日分、いや3日分を1日で行くことになる。たまげていると、米山さんがニヤニヤしながら「昔はよくやったよな」と、富士山を1日に2往復したとか、そんな話を嫌と言うほど聞かされた。年齢は二人とも私と同じだった。
 赤石岳避難小屋は2階建てで公称40人泊まり。2階は見なかったが1階は10人も寝ればきつくなりそうだ。旧小屋は今の場所より下の、カールの最下部、モレーン手前の平地にあって今でも土台の跡が残っている。東海フォレストの経営で建設費用は1億円という(赤石小屋は1億2千万円)。今の小屋番の米山さんが初代で、米山さんの実家は富士山の小屋を経営しているそうだ。この小屋は食事付ではないが、レトルトのカレーか牛丼なら作ってくれる。椹島の同室者にそう聞いていたのでここまで来たということもある。カレーをいただいたが、もちろんうまかった。1000円である。これで十分という気がする。

聖岳に進む