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山日記
2001/7/15〜16 聖 岳
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715(日)

赤石避難小屋8:35−途中何度も休憩あり−百間洞小屋1230

4時から山頂に上がり7時過ぎまで3時間も景色を楽しんだ。天気は上々で、ご来光前もいい色だった。下界は雲海で遮られ、上空には雲はほとんどない。西側のオレンジ色に染まった雲海に赤石の影が映る。富士山は霞んではいるが圧倒的な美しさだ。

小屋でレトルトの牛丼を作ってもらい、お茶をもらってゆっくりする。今日は大名登山である。小屋番の米山さんが小屋の南側を見ながら、「雷鳥親子がやってくるよ」とうれしそうである。「姿は見えないが声はするからもうそろそろ、あそこら辺に姿を見せるよ」と指差す。山頂付近から旧小屋跡までの斜面にロープが張られていて登山者を誘導しているが、登山者が迷いやすいからではなく、雷鳥が通る道筋を登山者に荒らされたくないから張ってあるのだそうだ。米山さんの言った通り、30mくらい向こうのハイマツとザレの斜面を母鳥が現われ、良く見ると周りに7~8羽の幼鳥がひょこひょこ歩いている。だんだんこちらに近づいてきて、雛の1羽はほんの4〜5m先まで来て草をついばむのに夢中だ。母鳥が呼んでいるが、変なルートをとったためになかなか母鳥のところまで辿り着けない。「でも、母鳥は機嫌が悪くないね」と米山さんが言う。鳴き声で緊張しているかわかるし、鷹がやってきたときなどはすごい声で鳴き、子供は一目散に姿を隠すそうだ。このあたりには少なくとも3家族がいて、小屋に土台の石の隙間に住み着いているテンだかオコジョだかの被害にも遭うそうだ。

雷鳥の家族を飽きずに見ていたら出発が8時を過ぎてしまった。累々たる岩山の間の道を進むと一気に急降下となる。イワウメやタカネツメクサがあでやかである。オヤマノエンドウも咲き残っている。目の前に広がる百間平の台地が、のどかである。ガレの急坂を下っているうちに私の腹も我慢できないほど催してきて、誰も来そうにないので、岩場の適地でキジを撃つ。道からは見えない離れた岩の陰だし、紙の処分や“でたもの”の処置もできる限りやったので跡形もなく、気付く人はいないと思う。座り心地の良い岩を選んで洋式にしたのとさわやかな風も吹いて景色も抜群だから、とても気持ちの良い時間だった。

百間平でも所々で大休止し、大名登山を満喫する。聖岳が真正面で大きく、兎岳との鞍部からの長い登りが気になる。振り返れば岩石で覆われた巨大な赤石岳がある。百間平から大きく下ると、もう百間洞小屋に着いた。昼時なので受付と一緒にラーメンとビールを注文する。若奥さんが持ってきてくれたので、小屋の前のベンチで、すぐそばを流れる沢の音と鳥の声を聞きながら味わう。インスタントとは思えぬ具材のおごったおいしいラーメンだった。あてがわれた寝場所に行き、大名登山の仕上げとばかりに昼寝をむさぼった。

夕食時に確認すると、客は夫婦1組に単独行が私を含む3人の5名だけだった。小屋番は若い夫婦だった。夕食はトンカツが出て、ご飯もとても美味かった。とてもこんな山奥の食事とは思えない。後で聞いた話では、南アルプスの小屋の食事ランキングで1位だったという。納得である。夜は昼寝のせいかなかなか寝付けなかった。

716(月)

百間洞小屋455R12765m)546555−中盛丸山613−小兎岳655R2兎岳753810−最低コル842R32715m)858910R4聖岳・昼食1018{→15min奥聖岳15min←}/1150R510min)−聖平小屋1310

夜明けに聖岳がモルゲンロートになった。朝食も美味くてお代りをした。同じデーブルについた単独行者3人、昨日の夕食ではお互いに話しかけなかったが、今朝は私から話しかけると一人が堰が切れるように話し出した。よくいる“自慢おじさん”だった。話しかけたのを後悔しても遅い。お茶もそこそこに出発する。

大沢岳には登らず新ルートをとる。グンナイフウロが多い。トリカブトはまだ早いようだ。稜線に着くと気持ちのいい風が吹いていた。百間洞小屋の同泊者の一人、あの“自慢おじさん”が追いついてきて、ここから大沢岳を往復するそうだ。私は先が心配なので前に進む。中盛丸山も小兎岳や兎岳も、昨日思ったほどのきつい登りではなかった。天気は今日も良さそうだ。しかし、風が強く、私の重いからだがよろめくほど。調子がいいので兎岳まで2時間休まず歩いた。あの人が追いついてくるのを避けたかったこともある。兎岳には赤石岳から遅い時間に出発した二人組みがいた。二人とも大きな荷物だが、年齢は私よりは10歳以上は上のようだ。兎岳手前でテントを張ったそうで、そこは下れば水場があるそうだ。一昨日はどこへ泊まったか聞き漏らした。そのうち、“自慢おじさん”がやってきて、私がここに着いた時間を聞き、大沢岳を往復するのが大変だったことを強調する。展望はここもすばらしい。聖岳から光岳までこれから歩こうとする稜線が一望できる。光岳山頂は今まであいまいだったがここでやっと同定できた。決して秀峰と言える山容ではなく、凡々たる山塊ではあるが、机上登山では焦がれ見つめてきた山ではある。二人組みの一人が「光小屋が見える」と言う。目を凝らすとほのかに見える。今回の最終目的地、永年の憧れの地に、いやが上にも心が躍る。

いよいよ鞍部へ下って聖へ登り返す、本日のハイライトである。山頂直下にある兎岳避難小屋は、狭くて汚い、という話を聞いていたので覗きもしなかった。鞍部への稜線は痩せていて、南側が切り立った崖だが、北側は所々サイトになりそうな個所もある。幕営禁止だが「止む無く組」も「こっそり組」も相当数いるような感じだ。水場も1箇所ある。だいぶだらだらと下り、どこが最低鞍部かわかりにくい。登り始めの景色の良いところで一休みする。百間洞小屋からの沢筋には雪渓がかなり残っている。その上の百間平、その向こうに延々たる山並みが今日も雲間に隠れることがない。確かに長くて苦しい登りではあったが、だいぶ覚悟していたので、後味の良い苦しさだった。頂上近くはザレで滑りやすい。両側の崖を見ながらの下りは大変そうだ。山頂に着いたのが割合と早いせいか、人も少なかった。景色はもちろんすばらしい。北から南へ一望である。ヘリコプターが飛んでいて、だんだんこちらへ接近してきた。と思う間に、山頂の地面に触れんばかりに降下しホバリングする。私の20mほど向こうだ。すると今度は私のいる頂上の周りをぐるぐる廻り始める。機体には「静岡朝日テレビ」とかいてあり、良く見るとカメラをこちらに向けていた。頂上には私しかいないので、これはと思い、思い切り手を振り、愛想を振りまく。今日のニュースステーションにでも出たらどうしよう、録画しておいてもらおうか、などと考えてちょっといい気持ちになる。昼食を摂ってから奥聖へ向かう。頂から谷までの赤石岳の山容が大きい。富士山もきれいだ。戻ると人も多くなっていて、雲も多くなった。下からガスも湧いてくる。ここまでと思い、下りにかかる。この斜面もザレていて滑りやすい。登りは大変だろう。ガスで巻かれると方向を間違えやすいところだ。聖平までの中腹まで来ると、ガスが完全に覆うようになる。登りの人も多いので、上空は晴れるといいのだが。聖平までは結構、かったるかった。小屋まで木道を辿るこの辺り一面は湿地帯で枯木が白く、おまけにガスもかかっているから幽玄な感じでよい。

聖平小屋はさすがに込んでいた。でも別棟もあり、広い小屋なのでぎっしりというわけでもない。今日から営業開始だった。ここは公営だが、結局誰かが請け負っているらしく、役人が直接やっているわけではない。アルバイトもいるが動きの悪い中高年も働いている。聖岳のみを目指してくる人はこの小屋に泊まるようなので、盛期はとんでもなく込み合うのだろう。

今日も時間がたっぷりあるので、そばのベンチで本を読みながらビールを飲む。すぐそばで談話しているグループの話し声を聞くともなく耳にしていると、光小屋で働いていた女性がいるらしい。興味ある、少し気に入らぬ話でもあった。

夕方までのんびりと過ごす。夕食はカレーライスだった。さほど不味くもないが、昨日が百間洞小屋だったせいか、料金の割りにはと、つい思ってしまった。寝場所は余裕があったが、シュラーフが小さく寝苦しい。せめてサイドファスナー型にしてくれればいい。山には形態性の上で相応しくないが小屋の据え置きならいいと思うが。今夕もやはり6時頃からすごい土砂降りになった。今日は夜半まで止まなかった


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